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2010年 03月 10日
ランチに同席したもう一人の女性はKさん。公務員として定年まで働き、
2009年3/31の退職日の翌日の4/1に三回生編入生として女子大生になった。 「だから、お勤めから学生になったけど生活のペースは同じなのよ」とおっしゃる。 定年になってしばらくゆっくりしよう、とは思わなかったらしい。 さ~~すが~~。 今までとは違ったことをやってみたい、それも、 ある程度の枠があった方がいい、ということで臨床心理専攻で受験した。 最初は卒業までしか考えていなかったらしいが、 なんせ編入してくる社会人は、彼女以外は、みんな大学院進学と臨床心理士の 資格を目指している人たちである。3回生を過ごすうち、すっかり洗脳?されて しまって、今は晴れて?大学院を目指すことに。来月4月からは4回生になり 卒論も待っているが、同時に院試験準備を始めている。 院試験は、英語が大きなポイントだ。でも彼女は「40年くらい英語なんて やってないわ」ということで、今私と英語を勉強している。 一か月前には「do you~?のdoと、do homeworkのdoはどう違うの?」と 言っていた。最近の質問は・・・・・ 「原形不定詞ってなに?」になってきた。 人間の脳ってすごい。いくつになっても使っていれば どんどん発達する。で~~~~、今二人でユングについて 英語のテキストを読んでいる。楽しみだわ~~。 2010年 03月 10日
先日、大学院を今月卒業する予定の、といってもずっと若い、20代後半の
Sさんを囲んでランチをした。彼女は高校を出てから服飾関係の専門学校を出て、 しばらくファッション関係の会社で働いていた。しかしいろいろ考えるところがあり、 臨床心理学部の三回生に編入、卒業、そして大学院も無事終えることになった。 ファッションと臨床をなんとか結び付けたいという。具体的には入院患者が 毛玉のついたセーターを着たり、同じパジャマばかり着ているのでなく、 その人の合った服をデザインしてあげたり、お化粧やおしゃれができるように 援助したいという。こういう方面はイギリスではすでに進んでいるらしい。 素晴らしいアイデアじゃないの?と参加した他の女性たちも大賛成。 同席したTさんは40歳。企業でバリバリ営業で働いてきた。 そして同じく考えるところがあり、2009年4月三回生に編入入学。 来月4月から四回生で、来年からの大学院進学を目指して、 猛受験勉強中である。 SさんとTさんに共通するのは、大きな投資してでも「こころ」が満足する 仕事がしたいこと。三回生編入し卒業、そして大学院で2年すごすと500万円くらい 必要だろう、プラス生活費。MBA進学するならわかる。取得後は収入アップも 見込めるかも知れない。でも臨床心理士は・・・・・修士を持っていても 食べて行くのがやっとか、仕事さえないかもしれない。それでも転職したい、という その気持ちはどこから来るのか。 Sさんは、もうファッションの仕事には戻りたくないという。 「臨床の世界を知ったら、もう戻れないわ」と。 統合失調症の人たち見てると人間の原点を見てる気がする、とも言う。 夢を実現してほしい。 入院している人に一番素敵だと思える服をデザインして プレゼントしてあげたい、というSさん。 もしそれが、仕事として成り立つ社会になれば こんな素晴らしいことはない。 2010年 03月 07日
じっさい、クラスを受けてみると意外に社会人が多いのにはちょっとビックリ。
看護士、保育士、会社員だったという20代~40代の女性が10名近くいて 全員3回生に編入していた人たち。そして定年前後の人たち。こっちは 3回生編入組みとやりがいのために科目だけ履修する人たち。 たいがい、こういう人たちは前の方に席をとり熱心にノートをとる、質問する。 40代くらいまでの人たちは、大学院を目指し、臨床心理士の資格をとり、 就職することがゴール。いやはやすごいことである。そのために時間と費用。 期間が4年、費用は500万円くらいになるのではないか、いやもっとかも~。 臨床心理士は、就職口があまりなく、あっても食べていくのが大変とは 聞いていたが、それでも彼女たちは、進んでいくつもりである。 人生の目標を持った人たちは、ほんとうに熱い。 2010年 03月 05日
去年、2009年の4月、ある大学の科目履修生としてじつに何十年ぶりかで
大学の授業に出はじめた。 深層心理学と心理療法学。 科目履修生、こういう制度があるとはその少し前まで知らなんだ~。 今時、正規の大学生のほかに、聴講生と科目履修生があるのだそうだ。 どちらも費用は払うが、科目履修は普通に試験も受け、単位が与えられる、 他方、聴講生は試験は受けず単位もないという違いがある。 初めての授業の日、早い目の時間に大教室に入って行くと、同じような おばさんが既に座っていた。先生かなと思い「私は科目履修生で初めて この大学で授業を受けますが、先生ですか」と声をかけてみた。 すると「いいえ、私も学生です」ということで話が始まった。 Mさんとしておこう。 Mさんは小学校の先生を早期退職して、この大学の臨床心理の三回生に編入、 人類学のクラスも受けているうち、チベット仏教に興味をもち、 その一年前は、なんとインドのチベット人地区に一年間留学(遊学) してきたそうで、その日は復学して、4回生としての久しぶりの 授業だったのだ。なんとまぁ、ユニーク、私はうれしくなった。 慣れない私は、すりすりしてランチ時間に学食まで案内してもらった。 ところが、その混みように、私はギブアップ。持参したお弁当を 一人で教室で食べた。次のクラスも彼女と偶然一緒になったので、隣に すりすりして座らせてもらった。そして、ちょっ斜め後ろを見ると、 またまた同じようなおばさんを発見~~ 授業のあと、その彼女と顔を見合わせたらお互いニコッとなって、 会話が始まった。 彼女、Kさんは公務員を3月末で定年になり、4月から女子大生としてここに 来たそうだ。心理学とはなんの関係もなかったが、違うことをやってみたくてと 臨床心理の3回生に編入してきた。これで初日に私を含めて、中高年花の女子大生が 3人。私は正規の大学生ではもちろんないのだが。 ま~~受ける科目が少ないだけで、やることは同じ。 でも、初日からこうして熟年の方たちと知り合えるとは 想像もしていなかった。mature students!! 日本も変わってきたもんだ。 こうして私の女子大生ライフは始まったのである。 2010年 03月 05日
あ~~、もう3月も4日過ぎてしまった~~
いよいよ来月4月から、臨床心理専攻の大学院生になる。 あれだけ、望んでいたことだが、いやいや今でも望んでいるが、 最近、なんとなう億劫な気持も出てきた。遠足の前の日の気分かも。 ここ最近は、来年4月に大学院入学を目指しているKさんとの 英語の勉強会に没頭している。Kさんは定年後すぐに大学3回生に 編入。猛勉強で来月から4回生に突入する。そして来年の2011年度から 大学院生になるべくこれから、いや今準備中である。とくに英語に フォーカスしている。一足先に入学を決めた私はそのお手伝いと いうわけである。 この私がなぜ、臨床心理の大学院を目指すことになったのか、 そのあと、どうしようとしてるのか、 自分の中でも明確に整理しているわけではないが、 それこそ、自己分析して、少しでも自身の深層心理に せまってみたいものである。 2009年 11月 11日
2009年もタイへ行ってきました~
ここにレポートと写真報告です。 2009 夏 里親さんのタイ里子訪問記 訪問地:バンコク ムクダハン 番外としてシェムリアップ(アンコールワット) 参加者:5人 2009年8月に、5人がタイの里子(スポンサーチャイルド)を訪問しました。行きは関空からみんな揃っての出発、帰りはそれぞれの都合に合わせて、3つに分かれての帰国でしたが、万事うまく運び、ほっとしました。まず4日間、いつものようにムクダハンとバンコクのサイアムケアを訪問し、その後二人が帰国、あとの三人はあカンボジアのアンコールワットを一泊二日で観光しました。そして一人が帰国、あとの二人は、さらに3日間バンコクで観光を楽しんだのでした。以下に簡単に報告します。 訪問スケジュール 2009年 8月14日(金) 夜行便で 大阪~バンコクへ 15日(土) 早朝バンコク着 国内線でバンコク~ムクダハンへ タイの母の日の行事出席 16日(日) 里子訪問 17日(月) 里子訪問 18日(火) 早朝 国内線でムクダハン~バンコクへ サイアムケア バンコク事務所訪問 (二人、深夜便で日本へ帰国。残り三人はバンコク泊) 19日(水) 早朝 三人、バンコク~シェムリアップ(カンボジア)へ アンコールワット観光 20日(木) 引き続きアンコールワットと市内観光 夕方 シェムリアップ~バンコクへ (一人、深夜便で日本へ帰国) 21日(金)~23(日) 二人、バンコク逍遙、深夜便で日本へ帰国 (24日朝関空着) 滞在記① 二度目の里子訪問 里親 Jさん@大阪 いつもの便TG623でスワンナプーム空港へ着く。 さあ タイへ着いた、と例のごとくにスイッチオンのたびモード。 到着翌日、サイアムケアのイベント「マザーズデイ」でカム君(13歳)と再開。 1年ぶりのカム君はまた少し大人びていた。昨年末に母親代わりの祖母を亡くし心配していたが 今回 カム君の世話をしている隣に住む伯母さんと出会い 優しい人柄に触れて嬉しくまた安心した。 マザーズデイの催しではお花をもらったり 手紙を交換したり 車座になってスタッフが作った御飯を一緒に食べて楽しいひと時を過ごす。キンパイ クンパイ (タイ語でおしゃべりしながら食べる、の意)お客さまをもてなすのは ご飯!! 言葉がなくとも 一緒に顔を見合せながらにこにこして食べるご飯は 美味しい!! さっそく ムクダハンに戻ってきた?感じがこみ上げる“ひととき”である。 もう一人の新しい里子Kanちゃん(10歳)に会ったのは その翌日。車で1時間以上走っただろうか? 美しい風景を見ながらカンちゃんの家にたどり着く。両親と一緒に暮らすカンちゃんは幸せそうに見えた。学校の行事でかわいい衣装をつけた写真を見せてもらったり プレゼントを渡したり 短い時間だったが良い出会いだった。とても味のあるお父さんだったなあ!! 昨年は初めてだったから 舞い上がってしまった私だったが 今回は時間的余裕もあり ベテランの人たちと一緒だったので 前回行けなかった町のスーパーやナイトバザールも覗けて 違う楽しさのある旅だった。そして変わらないのは スタッフの笑顔。つられ笑う我々の笑顔も屈託がなくいい笑顔をしていた。今回は滞在最後の日に 我々が日本から持参の焼きそばを作ったが、キャンプに来ているみたいに楽しかった。 その後アンコールワットへ一泊で旅行し バンコク市内に3泊 と満足なのだが、実際はもっと居たいと心残りな気持ちもありながら今年の旅は終わった。 また来年会いましょう。 ポップ カン マイ! 滞在記② タイの母の日、マタデー?! 里親 Iさん@京都 いつものように深夜便で関空出発、早朝バンコクへ到着のあと、国内線でウボン・ラチャタニー空港へ着き、いつものようにホテルからの迎えのマイクロバスがすぐに見つからず、いつものようにちょっと不安ながら、なぁにそこらへんにいるだろう、と探すこと数分、やっぱり見つかった。いつものようにニヤニヤと迎えてくれる運転手。ニヤニヤの国、いや「微笑みの国」タイならではいつもの経験である。 ムクダハンのホテルへ朝9時ごろに着くと、まもなく「サイアムケア」のスタッフのツリーが迎えにきてくれた。「今日は、マタデーだ」という。は?? マ、マ、マタデーってなぁに?? いろいろ聞いていくうちに、マザーズディ、母の日だと判明。タイでは6月ではなく、王妃の誕生日である8月15日が母の日になっているそうだ。それにしてもいつものように悩まされるタイの発音。 さて、サイアムケアセンターへ到着すると、たくさんの人が集まっていた。子どもたち、お母さん、お父さん、おばあさん、おじいさん、おばさん。歌あり、ゲームあり、ランチあり、と大人・子どもにとり、楽しい祝日だ。私たち5人は前へ出て挨拶すると、花の首飾りをかけてもらい、うやうやしく歓迎された。一人の里親さんが日本から持ってきた横笛で「夕焼け小焼け」を演奏した。いいなぁ、暑いタイで聞く「夕焼け小焼け」♪♪~。ランチの時間になると、タイならではの慣習で子どもたちがすべて配膳してくれ、大人は黙って座っているだけ、いいなぁ、この慣習、ここに住みたいなぁ~、と、まぁ都合のいいことを思ってしまった。 その後、里子訪問をして二日間過ごし、バンコクへ移動した。バンコク事務所ではディレクターのアドリアン初めスタッフからまたまた歓迎を受けた。彼女は50代初めで、今年でオランダ半分、タイ半分住んでいることになるそうだ。元々はカンボジアへ看護師のボランティアとして来ていてタイ男性と結婚した。事情があり離婚したが、最近その前夫が気の毒にも亡くなった。敬虔なクリスチャンの彼女は二人の子どもたちの父親でもある前夫とは交流を続け、亡くなる直前、夫が言った「キリスト教でお葬式をしてほしい」という言葉のとおり、前夫のお葬式を彼女が取り仕切ってキリスト教で行った。前夫は新しい家庭を持っていたのだが、すべて円満に彼女が執り行った。それをきいた私は何ともいえず(感嘆というかなんというか)ただ「う~~~ん」というと、「なんだかクレイジー?」と彼女は言った。正直驚いたがそれは感動としての「う~~~ん」だった。改めて長年この活動をしている彼女の背景にあるものの強さを感じた、そしてスタッフの一人が言っていた「彼女は石のように強い」という言葉を思い出した。 タイの「母の日」のためにサイアムケア敷地内の庭に集まった人たち。半日ゲームやランチ、教育的プログラムで楽しむ。「子どもの人権を守る」「家庭内での役割」などなど。父母が亡くなっているケースが多いので祖父母が孫を育てていることが多いタイでは、子どもたちが大人に完全サービスしてくれます。移住しようかしら ![]() 音楽の得意な里親さんが、みんなの前で、日本の横笛で、夕焼け小焼けぇ~の~♪♪里子のおじいちゃんに「これ似合うわ、明日から着てね」 「勿体ないから祭りまでとっておこう」 「まぁ、そう云わんと。また持ってくるやん」 ![]() 里子のおうちを訪問して裏にある小川まで散歩。といってもこの小川がこのおうちの洗濯場、シャワー場、遊び場である。毎日リゾート?!おうちには電気、水道は引かれていない車で移動中、タイの移民局のお役人さんに、止まれ~と合図された。ラオスとの国境のムクダハンではラオスからの密入者が多いらしい。職務質問に応えて「ハ~イ、日本から来たのよ。ラオス人に見えるって?あれま」とかなんとか、関西人らしく熱烈応対。面白い経験でした、はい ![]() ![]() ![]() ![]() 新しい里子のペアーちゃん。おばあちゃんが面倒をみている![]() イギリスのスポンサーから支援を受けているこの子は素晴らしい発音と音程で英語の歌を歌ってくれた。勉強が大好きな子だそう ♪~♪♪![]() 番外編 カンボジアのアンコールワット ![]() ![]() 2009年 01月 07日
ちょっと書込みが前後するが、今回は昨年2008年夏のタイ訪問記である。昨年は2組の里親さん(夏と秋、二人ずつ)がタイの里子を訪問した。「サバーイ」では、自由に行きたい人が自分の里子に会いにタイへ行く態勢をとっている。もう何年も続けている訪問で、現地で大歓迎してくれるし、日本では味わいない異文化、自然、人々に会うことができる。今回のレポートは、わか~い20代の里親さん二人、OさんとSさんの滞在記である。二人とも働いているため、休暇の取りにくい中、夏のお盆休みを利用して、それぞれ自分たちの里子はじめ、「サバーイ」が支援している子供たちや家族に会ってきた。 OさんとSさんの訪問スケジュール 2008年 8月13日(水) 大阪~バンコク 14日(木) バンコク~ムクダハン 里子訪問 15日(金) 里子訪問 16日(土) 市内観光 17日(日) スタッフお宅訪問 18日(月) パーティー 19日(火) ムクダハン~バンコク 里子訪問 バンコク出発 20日(水) 大阪到着 滞在記 タイではジュースに砂糖をいれる! by O H @姫路市、兵庫県 13日(水)昼頃に大阪を出発して、夕方スワンナプーム空港に到着しました。思った以上に入国時間に手続きがかかり、ホテルに着いたら、すっかり夜になっていました。14日(木)早朝から、国内線で移動。バスに乗り継いで、ムクダハンには、10時ぐらいに到着しました。15日(金)まで2日間にかけて、里子訪問をしました。 16日(土)には、ナショナルパークとムクダハンタワーに観光に行きました。メコン川に完成した橋も見ることができました。17日(日)は、教会の日曜礼拝に見学に行き、その後、スタッフが自宅に招待してくれました。18日(月)は、朝から、パーティーの準備でした。病院に入院している人がいるとのことで、同行のSさんがお見舞いに行きました。 19日(火)は、バンコクに移動。空港からそのまま里子訪問に行きました。夕方、スタッフと夕食を共にして、また空港へ。20日(水)早朝に大阪に到着しました。 国際線と国内線が別の空港になったことで、移動に時間がかかりましたが、体はゆっくり休めることが出来ました。ホテルでは、「オレンジジュースにも、マヨネーズにも、砂糖がたっぷり入ってる」と、驚くSさんを見て、「そうだった!ここは、タイだった!」と思いながら、味にすっかりなじんでしまった自分でした。 はじめてのタイ、はじめての里子との対面 by K S @枚方市、大阪府 タイと言えば、象・寺院めぐり・トムヤムクン。このくらいしかタイに関する情報は私の中にはありませんでした。旅のプランも連れて行ってもらうOさんに任せっきり。私は一週間の旅支度と初めて会う里子のアウム君へのお土産を用意した時点で、もう半分旅を終えたような充実感を覚えていました。タイへのフライトは6時間。乗り物酔いする私はいつ気持ち悪くなるかちょっと不安でしたが、Oさんと話をしているとあっという間でした。 スワンナプーム国際空港に到着すると、そこからタイ時間は始まっていました。入国手続きの待ち時間の長いこと。閉まっている隣のゲートも開けたらええやん。そんな文句を言いながら、私たちの乗った飛行機の添乗員であろう人々に追い越されながらもひたすら待ち続けました。これがOさんの言ってた、のんびりしたタイ人気質を反映したタイ時間かぁ、私もタイにいる間はこのペースに順応しようと思いました。 バンコクのホテルに一泊し、翌朝国内線でムクダハンに向かいました。1時間足らずのフライトで到着しました。ホテルに荷物を置いたあと、いよいよスタッフに出会い里子訪問に連れて行ってもらいました。 車に乗せてもらってのどかな景色を見ていると、とても気持ちが良かったです。暑いからかタイ時間なのか、みんなのんびりとしたペースで仕事をしているように感じました。ボペニャンド(気にしない)という言葉がなんだか自分にも馴染んできて、何度もつぶやいてはOさんと笑っていました。 しかし、現地の状況を見たり説明を受けるうちに、なんとも言えない気持ちになってきました。幼い子どもたちが過酷な運命を背負いながら一生けん命生きているのだと思うと胸が詰まる思いでした。 ムクダハンでの最後の日、Oさんと私はスタッフに日本食を作って振る舞いました。私は料理があまり得意ではないため、ほとんどOさんが作りましたが。。おいしいとみんなとても喜んでくれました。日本から持参した浴衣もとても好評でした。 最終日、バンコクに戻って私が支援するアウム君に会いに行きました。支援を始めた頃はまだ幼かったアウム君は15歳になり、私の背をゆうに超し立派な青年になっていました。無論、アウム君に会うのは初めてで今までは写真でしか見たことがなかったのですが。私とアウム君はとても緊張し、なんだかお見合いに連れてこられた若い男女のようになってしまいました。でも話をしているうちに、お互いのメッセージカードやプレゼントのやりとりで、私たちはもう他人ではなくすでに交流が始まっているのだと再確認し、打ち解けて話ができるようになっていきました。同時に、元気でやっていてくれるのだと安心しました。 学生を卒業し自分でお金を稼げるようになって、何かの役に立てばと軽い気持ちで始めたボランティアが、遠い異国の地でこんな風に花を咲かせているのだと思うとなんだか感慨深いものがありました。 その夜、たくさんの楽しい思い出と自分への課題(英語が話せない私は、今回の旅でもっといろいろ聞きたいのに、もっといろいろ話したいのにと、自分の英語力の無さに何度も悔しい思いをしたので、次来るまでには絶対ペラペラになってやると思いました。)とともに無事帰国の途に着きました。 一週間の旅でしたが、本当にいろいろな経験をし、いろいろなことを考えさせられました。私の中でタイに対するイメージがいい意味でも悪い意味でも変わりました。日本でもHIVの感染者は増え続け、他人事ではなくなってきています。自分の身は自分で守るとともに、里子たちと同じ悲劇を繰り返さないために日本でも何かできることはないかと思いました。 最後になりましたが、一緒に旅をしてくれたOさん、いろいろ手配してくださったIさん、本当によくしてくださったタイのスタッフに心から感謝いたします。 2008年 12月 17日
今年のタイは~、案の定、母の介護もあり私自身はいけなかった~。 しかし、二人の里親さんが、例年のごとく、一杯の古着、文房具、プレゼント持参で元気にバンコク、そして辺境の地?東北部のムクダハンまで訪問した。その滞在記をば・・・・・ (出発2008年10月31日、機中泊入れて5泊) (サバーイでは、ほぼ毎年有志の里親さんたちがタイの田舎へ現地訪問してスタッフや里親と親交を暖めている。希望者は誰でも参加OK。たとえば関西、関東からでも空港などで集合して調整している) =========================================== 滞在記 ≪ムクダハンへの初訪問≫ C J @大阪 昨年夏 バンクーバーからの飛行機で偶然隣同士になったIさんとの出会いから1年余り経った10月末、 私はタイへ旅しました。 その時に聞いた様々な話に興味を持ち、とても心惹かれて、日本に帰ってからすぐメールで連絡を取り合い、この活動に参加させてもらったのです。今回初めてのムクダハン訪問だったので、是非一緒に行きたかったのですが 彼女が出かけられない事情となり本当に残念でした。 旅が好きで初めての場所が大好き人間の私だけど英語はちょっと?・・でも今回はムクダハン3回目のYさんと一緒だったから安心だったし、事務所への連絡等も完璧にしていただいていたので、全ては順調に進み、初めての心温まる旅は無事終わりました。 さて、昨年開港したばかりのスワンナプーム空港に着いた時から、私はすでに日本の日常生活を離れ 気持ちは旅モードへスイッチ・オン。テンション上昇、旅のワクワク感で気分は盛り上がり始めます。行き先によって決められた値段で走ってくれるパブリックタクシー乗り場(H子さんの情報)からタクシーに乗り、ネットで予約したホテルへ向かい、チェックイン。( 450バーツ) 2日目 初めての事務所 翌朝 サイアムケアの女性スタッフ(ティン、レン)が迎えに来てくれ、ホテルから5分程の事務所へ行き『まず 冷たい水』をいただき荷物を置いてYさんの里子アンちゃんの家へ向かった。11月初めとはいえ、 やはりバンコク市内は「暑・い!!」 Yさんとアンちゃんとの1年ぶりの再会は アンちゃんのおばあちゃん、姉、兄を交えとても温かく楽しいものとなりました。最初は初体験で少し慣れなかったけど、タイの雰囲気に徐々に馴染んでいく自分を感じて 帰る頃にはタイを離れるのが寂しい~ っと言う気持ちになってしまいました。 一年ぶりの再会。アンちゃんと里親さんアドリアンに会う! 近所の屋台でスタッフとお昼を食べている時 電話で連絡を受けたサイアムケア代表のアドリアンが顔を見せてくれました。初訪問で彼女に会えるとは私ってラッキーだわと心の中でつぶやき おまけにドンムアン空港まで送ってもらえて二重にハッピーだった私は お昼のタイ風焼きそば(パッタイ)の味への愛着とともにタイへの愛着もさらにアップ。 ウボンラチャタニ空港に着いて、いよいよムクダハンへ向かうホテルのミニバスの中では、明日からの里子訪問に思いを馳せ 星のまたたくきれいな夜空を眺めて一人で旅モードに浸る私。 ここで サバーイの話 私が参加させてもらっている 「サバーイ」では基本的に全体の里親で全体の里子を見る方針だそうですが 便宜上一人に対して一人の里子をと言うシステムになっています。 それはサバーイの母体であるサイアムケアの考えに基づいていて、1対1(1対2?)の方が子供に対して、より親密に感じることができると思われるからだと、以前Iさんから聞きました。 私は昨年入会した時 カム君という現在12歳になる男の子の書類をいただきました。 年に二回里子の近況報告や写真、手紙などをいただくので、そのカム君に会う楽しみはもとより他の里子やスタッフに会える事も含め楽しみでした。 さて・・・ ムクダハンでの最初の夜は 興奮から眠れなかったか?と言うとまったく逆で、とってもリラックスできて安らかな眠りに落ち、翌朝は時差の影響で 〈きっちり2時間〉早く朝4時に目覚めました。 まだ外は暗くて何も見えなかったのですが、徐々に白んでくると、窓からは裏の公園や山並みが目に入り(窓のすぐ下はホテルの舞台裏なので見ない方が良い)また 一人「ああ ムクダハンまで来たんだ!」と得意の旅モードに浸る。時間があほ程(大阪人です)あったので、朝食の待ち合わせ前に裏の公園をさ・ん・ぽ。 3日目 トゥリー(スタッフ)とボランティアのゲーKaeとの里子訪問 ホテルに迎えに来てくれたトゥリーがムクダハンの事務所へ案内してくれた。 バンコクの狭い事務所(ごめんなさい)と違い、広くて明るくてきれいで、おまけに生まれて一か月の子犬も出迎えてくれて、私はまたまた興奮で気が焦り靴を脱ぐ場所間違えて ドドッと上がってしまった。そこで『まず 冷えた水』が出される。訪問する里子を相談していよいよ出発です。さて ここのチーフであるトゥリーには、これからの3日間 案内や観光にまで付き合ってもらいお世話になりました。 事務所のニューフェースくん!最初の訪問はカム君 (Khum) カム君は体も目も悪いおばあさんとの二人暮らしで、家事は全て彼がやっています。 飼っている鶏が卵を産むと、おばあさんと分け合って食べる貧しい生活なのだが、こんな非常に条件の悪い状態で暮らしているにも関わらず、ごく普通の男の子だと感じました。体も小さい(日本の7歳位ぐらいの身長)が顔の表情や態度を見ると 12歳の男の子っぽさを感じ、その人懐っこさと屈託のないところに、昔から知っていた知り合いの子供に出会ったような思いがしました。何より明るさがいい。毎日ご飯を作りおばあさんの世話もしているのに、この雰囲気はどうしてだろう?これはタイ人の持つおおらかさの気質からくるものなのかしら・・ 里子とのはじめての対面おそらくあの環境では勉強などは出来ない暮らしだろうから親戚の家に行くとか、もう少し改善はできないものかしら。等と自分勝手な事を考えたが、それは押し付けなのでしょう。 幼くしてHIVで両親をなくした彼を育ててきたおばあさん(祖父は昨年死亡)にとっての生き甲斐はカム君だけであり、彼の生活がどんなに貧しくても、彼の存在がこの家庭にとってすばらしい価値を持っている訳で、それを尊重しなければいけないと思いました。そして元気で大きくなっていつか社会に出て、おばあさんを養ってあげられる日が来ることを祈るだけです。 ゲンちゃん(Geng)と姉のギンちゃん 彼女たちの家までの道のりは往復で約2時間余り。 赤土のでこぼこ道をガックンガックンしながら、途中の小さい村では道の真ん中の至る所に寝ている野良犬か飼い犬か分からない犬を轢き殺さないように注意しながら そして横に座っているゲーKaeの寝顔を見ながら山の景色を眺め、ほのぼのとした気分で やっと着いたゲンちゃんの家は超自然の中でした。 彼女たちの母親はエイズでかなり悪いらしい。スタッフが薬を運んでいて、ゲンちゃん本人も薬を定期的に飲んでいる。ここで里親さんから預かってきたプレゼントや文房具、そして薬を飲む時間を知るための腕時計を届けた。私たちが何気なく使っている物でも、ここではとても貴重であるという事を再認識しました。 ゲンちゃんちでは「ゴザ作り」を体験したり、川へ案内してもらったりしたが、この二人はかなりの恥ずかしがり屋なのか ほとんどしゃべらないのでとうとう声を聞く事は出来ませんでした。 大人っぽくなったピーナちゃん ピーナちゃんは、事務所近くに住んでいるので私たちが帰って来るのを事務所で待っていてくれました。ゲンちゃんの所から帰って、『まず 冷たい水』&『フルーツ』(毎回出されるこのフルーツが美味しい!)で一息ついてからピーナちゃんの里親さんからのプレゼントを渡しました。私は初対面なので、大人っぽくなったかどうかは本当は分からないのですが、多分この年頃なら大人っぽくなったのでは?と思ったのです。 持参した里親さんからの手紙を読むピーナちゃん里親さんからのプレゼントを見ているピーナちゃんを嬉しそうに見ているお母さん。そしてそれを嬉しそうに見ている私たち。これを笑顔の連鎖反応 とでも名付けたい。そしてこういう連鎖は どこまでも繋がってほしいです!!私は今回の訪問でどれだけ顔がゆるんだだろう。ピーナちゃんのお母さんがザボンのような大きな果物を持って来て、出してくれたけどとても美味しかった。 何となく・・・ゆる! タイは国がゆるキャラなので(私の独断)、滞在しているだけでゆるくなる。ゆるいのが好きな人にはぴったりだと思う。三々五々集まり 何となく帰っていく。今日の晩御飯は、ボランティア ゲオちゃんの送別会だから、夜は近所の東北部風タイスキ。鉄板焼きとしゃぶしゃぶの合体だがこれがまたゆるい。なぜなら、焼くと煮るが同じ鍋。 肉は焼いてその周りのスープでは野菜やつくねを煮るらしいが、焼いているはずの肉が時々落ちてスープに入る。だから又引き上げて焼く。でも又滑り落ちてしまう。私はひたすら何度も引き上げて焼いた。でも食べ放題で一人80バーツ位(240円!)には文句なしです。 マイペースだよな~、おまえさん昼間の里子訪問では眠そうだったゲオちゃんは 若い女の子らしくプレゼントされたグリーンのパーカーにこぼれんばかりの笑顔を見せてくれた。若いスタッフたちも笑顔、笑顔で、ここでも連鎖が広がります。 ここに 短い時間だったが里子のオムちゃんが訪ねて来てくれた。行儀がよくてしっかりとした真面目そうな女の子で、短時間だったが嬉しい出会いでした。ゆるい食事のあとは ゆるい眠りに入るだけです。 4日目 エアとサー(スタッフ)との里子訪問 今日は月曜日。 事務所では月曜日の朝スタッフ全員が集まり、自分の周りの人たちの為に祈る時間を持つ。そこで私も最近亡くなった家族の事を一緒にお祈りしました。とてもいい時間が過ごせたと思います。 今日はクンちゃんとその弟ティック君とはそれぞれの学校で会うことになり、午後は家に帰って来るキアウ君とムットちゃんの家へ訪問しました。どの家を訪問するかを決めるのに手間取ったので、次回からはサバーイの子供たちにこだわらなくても良いのではとも考えました。実際カム君は様々な国の人から色々な必需品を用意して貰っているみたいでした。その時々に必要なものを、必要な子供に渡すのも一つのやり方だと思います。 クンちゃんの学校 家庭への訪問も嬉しいのですが、私はこのように学校へ行けたのは、かなり興味深い体験でした。それは全く日本と違う学校や大勢の子供達と自然に触れ合えるからです。これこそ 普通の旅行では経験できないこと、体でその国を感じられる気がしました。クンちゃんの中学校は広くてきれい、教室は風通しが良いように窓もなく丸見え。ちょっとしたテーブルのある場所に先生がクンちゃんを呼んで 連れてきて下さる。 毎年会っていた里親さんと会えないのが寂しくて 別れるときには涙ぐんでしまったクンちゃんに思わず私ももらい泣きでした。年に一回とはいえ、長く続く関係ならではの心のつながりだと思います。彼女も毎日薬を飲まなければいけないのですが、それはいつも自分の病気のことを考え 抱えて暮らしていくと言うことなのです。いつもいつもHIVと共に生きていかなければいけない事なのです。幼い時からそんな気持ちを持って大人になっていかなければいけないなんて なんと痛々しい事かと思います。 HIVに関しては、今現在病気自体は薬の開発により発症をかなり遅らせることができるようになっている。とは言え、里子達のように病気を持ち薬を飲みながら生きていくことは精神的にとても厳しいし、今後も困難なことがたくさんあると思います。 そんな彼らに対して出来ることって何なんだろう?ほんの少しだけ私たちが出来ることをさせてもらっていることは 私たちにとっての喜びであり それは言葉では言い表せません。 ここでボランティア考 ところでボランティアって何だろう? この活動以外のボランティアをしている時に、私がいつも忘れないでいたいと思っている事は <自発的な行為であること>と<楽しむこと> さらに思う事は、援助をする側と受ける側 この二つの人間関係は全く同じレベルに立ち、互いが相手に何かを与えているということです。人と人の繋がりに於いて どちらがよりたくさん与えているということは無いと思います。与えていると思っていても、実際はとても素晴らしいものを相手からいただいているのだと感じます。 弟ティック君の学校 次に訪ねたティック君の小学校は小さな小さな学校、と言えるかどうか分からないような学校で、生徒たちは自由に遊んでいました。全員黄色いシャツ一色で、最初は制服かと思ったけど、後で月曜日は国王の誕生日の曜日なので 黄色いシャツを着ていたのだと分かりました。また余談に入りそうだ・・・ タイの占いは血液型ではなく生まれた曜日で占います。そしてその曜日にはそれぞれ色がある。お国変われば、ですね。 ティック君はとても大人しくてお行儀のよい男の子。学校で会うのであまりゆっくりと時間は取れなかったけど、その後6つ程の教室がある2階建ての学校の中を勝手に見せてもらいました。子供たちがついて回り みんな人懐こくて笑顔が愛くるしい。そして顔の前で両手を合わせ「サワッディー カー」 先生と話しをしたスタッフによると、他の先生二人が病院へ行ってしまったので、みんな自習で遊んでいたらしい。エアからの伝わる英語を私が正しく理解していたらの話ですが・・ この学校も ゆる~い空気感だった。 元気はつらつキアウ君 スタッフ エアはとても素敵な女性だ。男の子を一人で育てている。もう一人の相棒のサーはとってもユニークなキャラで私は個人的に好きです。英語は苦手だと言い、時々私にタイ語のレクチャーをしてくれる。 別れる時に次はお互いタイ語と日本語を教え合おうぜっ、と言って別れた。 昼食は スタッフとたいてい屋台で済ませる。タイ風汁麺かタイ風焼きそば(パッタイ)だが、辛さや味は自分で調節する。今日はお汁が黒いので、何だろうと思いながら美味しく食べました。後から調べると、どうやら豚の血が入っている滋養のあるスープだったらしい。エアは朝食抜きでお腹がすいていると2杯たいらげていました。細い体なのでスタミナをつけなければいけません。こうして海外から訪問がある度にスポンサーの案内をするのも、大変なことだろうと思います。 さて、その滋養たっぷりの昼食の後、稲刈りシーズンのムクダハンを車でしばらく走り、訪問したのは11歳のキアウ君。ちょうど学校から帰って来たところで、会った時から少し恥ずかしげな笑みで迎えてくれました。 以前会った時はあまり笑わず暗い感じだったそうですが、今回会った感想はとっても明るくて嬉しそうで、またまた笑顔の連鎖反応爆発状態でした。 しばらくすると、稲刈り途中のお母さんがモーターバイクでさっそうと?いえ、どどどっと帰ってきました。そこではい、出ました!!『まずは 冷たいお水』。お母さんはどうしてグッドタイミングで田んぼから戻れたのでしょうか?答えは簡単、携帯電話です。稲刈りしているお母さんにサーが電話をしたのでした。 ところで、聞くとタイの携帯電話の普及率はかなり高いそうです。ネットで見たらバンコクでは約70%以上、でも東北部では約30% ただ固定電話の普及率は低い。携帯本体がかなり安く手に入り、ほとんどの人がプリペイドカードでかけるらしいが、普及率の低いここで、キアウ君のお母さんが持っていると言う事は、生活に余裕があると言うことだろう。4か月前に再婚したという話と関係があるのだろうか?とにかく幸せそうな笑顔とともに子供に会え、そして安定した生活を見るとなんだかほっとしたのは事実です。最後に訪問したムットちゃんの家も、生活の安定したゆとりのある家でした。 貧富の差 ムットちゃんは7歳。 かなりしっかりとしているし頭の良さそうな女の子でした。お母さんが病気なのだが 近くのホテルで働いている。回りに親戚もいて、生活も安定している様子だったが、何より今回ムクダハンで訪問した中では一番の教育熱心さが伝わる家庭でした。ムットちゃんの教科書とノートを持って来て見せてくれたが、本当にきれいな字で、ほれぼれするような伸び伸びとした線でかかれたタイ文字でした。 彼女の将来の希望は学校の先生になること。おばあさんやお母さん、まわりに彼女を見守る人たちがたくさんいて今回の旅の終わりに このような家庭に訪問することが出来て良かったですね、と同行のYさんと話しました。 将来は学校の先生になりたいですちなみに、ここでは『まずは 冷たい水』 ではなく『冷たいスプライト』だったのも私の要チェックポイントでした。この小さい田舎における貧富の格差ですら私にはすごい驚きだったのに、バンコクとの格差はどれ程のものになるのだろう。 旅を終えて・・・ 今まさに人口が増加していき発展していくタイ(ほとんどがバンコクに住んでいるが)。ラオスへの橋がかかり、これから幹線道路が通り、その近くの町であるムクダハンもそれに伴い開発されていくことだろう。働く場所が増えて貧しい人たちの生活が向上していくことは良いことだと思います。 貧しくても教育を受けてそして何らかの職業につき 自分の夢を持ちそれに向かって進める時代を私たちも小さい頃経験している。現在の日本のように成熟してしまった高齢化社会にはない活気と勢いと熱さ(暑さも)を感じた旅で、私も体が熱くなる思いをしました。そしてこうしてタイのムクダハンに出来た人と人の繋がりが これからの私の人生をまた広げてくれるでしょう。 最後に・・・ この旅のきっかけとなったIさんとの出会いに心から感謝しています。そしてサバーイを支えているスポンサーさん達、タイのスタッフや里子たちにも感謝の気持ちです。 2008年11月 旅を振り返って 2008年 10月 17日
この3ヶ月、まるで夢中だった。在宅介護自体の忙しさはもちろん、事務的な手続きの煩雑さ!ケアマネさんが親切に対処してくれるが、しかし家族がやはり介護保険サービスの内容、自治体のこと、施設の種類などを理解し選択しなければならない。多くの高齢者夫婦の場合、一体どうしているんだろう、と思えるようなしんどさとややこしさだった。
軌道にのせるための初期のそのような仕事が片付き、母の在宅の介護生活も慣れてきて、やっと楽になってきた・・・・・と言いたいところだが、正直それにはほど遠い。在宅介護はたいへんだ~、というのが本音。ヘルパーさんは毎日来てくれるし、緊急ボタンは自治体の制度で月200円でつけることができたし、近所の親切なおばさんも時たま、顔を覗いてくれる。私自身は車で一時間もかかるところに住んでるので、有難い。給食サービスもあり毎週スタッフが見守りがてらお弁当を届けてくれる。因みにこれは2ヶ月ほどで味が合わないということで止めてしまったが、頼めばそういうサービスもある。 しかし~、やっぱり家族の負担は大きい。 母はディサービスはまだ気が乗らないらしいが、10月になってやっとショートスティは行く気になってくれて、一泊二日過ごしてきた。昨年できたばかりのピカピカの施設で、居間の窓からは美しい山並みが見渡せる。若い男性スタッフも感じがよく、「今までずっと知り合いかのような扱いを受けた」そうである。母はたった一泊なのだが、いつものようにすぐ私に電話をかけたがった。携帯も持っていなかったが、「公衆電話はないか、娘に電話をしたい」と男性スタッフに言うと、その人は自分の携帯を貸してくれたそうである。入院していた病院だったら、看護師が「電話はないのよ。我慢しましょうね」というところだ。ほんとうに気のいい人に世話になってよかった。 今回、来月の予約もしてきた。まだ一泊だけしかしたくないそうだが、その内、もっと居てもいいとなってくれることを期待している。 2008年 07月 25日
明日、いよいよ待ちになった退院の日・・・・・この日を指折り数えて待っていた母。
脳梗塞のリハビリ入院の規定は、最高約5ヶ月。その後は、保健施設、ホーム、在宅介護など本人や家族が決定しなければならない。高齢者の場合、ほとんどは何らかの施設へ行くそうだ。もちろん、みんな本音は家へ帰りたい。問題はそれが可能かどうか、である。 母の場合、強い希望があり、またいろいろ検討した結果、何とか可能だと見えてきて、在宅を選択した。そう決めてから、この一ヶ月あまりの忙しかったこと。まず家のバス、トイレを大幅に改修した。居間や寝室は以前からバリアフリーにしてあったので大いに助かった。ケアマネージャーさんと相談しながら、帰宅後のヘルパーさんのプランやディサービスなどの利用、ベッド/ポータブルトイレ/シャワーチェアーなどの介護用品の購入/レンタルの手続き、一人暮らしの高齢者のための緊急ボタンコールの手続き、た~くさんの買い物、家の掃除、庭の草引きの依頼・・・・・終わりなき雑務が続いた。その間、母は2回ほど外泊許可をもらって私が付き添い在宅生活の練習もした。そんなこんなの忙しさ/重労働のおかげで私は夏風邪をひいてしまった。 母はこの外泊を、ほんとうに楽しみにしていて、2回目の前の晩、足が痛かったらしいのだが、看護師さんに痛いといったら、外泊許可取り消しになるかも、といって我慢したくらい、家へ帰りたかったようだ。誰にとっても、home sweet home なんだなぁ。 今いろんなことも、ほぼやり遂げ、なんとか在宅介護のイメージも見えてきた。後は実地にやってみて、修正すべきところがあれば修正するだけだ。ヘルパーさんには毎日お昼にきてもらう予定だが、それ以外は実質、独居になる。車椅子の高齢者が独居、こんなことを可能にしてくれるのも介護保険という制度である。マスコミではいろんな批判があるば、今のところ、よくぞここまで面倒みてくれる、と感じている。さて、これからどういう感想になるか、私自身も興味津々というところである。
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タイの「母の日」のためにサイアムケア敷地内の庭に集まった人たち。半日ゲームやランチ、教育的プログラムで楽しむ。「子どもの人権を守る」「家庭内での役割」などなど。父母が亡くなっているケースが多いので祖父母が孫を育てていることが多い
音楽の得意な里親さんが、みんなの前で、日本の横笛で、夕焼け小焼けぇ~の~♪♪
里子のおうちを訪問して裏にある小川まで散歩。といってもこの小川がこのおうちの洗濯場、シャワー場、遊び場である。毎日リゾート?!おうちには電気、水道は引かれていない



新しい里子のペアーちゃん。おばあちゃんが面倒をみている
イギリスのスポンサーから支援を受けているこの子は素晴らしい発音と音程で英語の歌を歌ってくれた。勉強が大好きな子だそう ♪~♪♪







